1895年4月の下関条約によって、台湾は日本の領土となりました。
その直後の1895年6月、文部省の官僚の伊沢修二が開いた「芝山巌学堂」

「芝山巌学堂」は台湾で初めての学校でした。

その学校に日本から派遣された以下6人の日本人のことを「六氏先生」と言います。

六氏先生の功績と感謝の気持ちを語り継ぐ唐さん

この映像を収録した場所は、
もともと台湾で初めての学校「芝山巌学堂」の
あった場所ですが、それを開いたのは日本人です。

1895年4月の下関条約によって、
台湾は日本の領土となりましたが、

「芝山巌学堂」が開かれたのは、
その直後の1895年6月でした。

それを推進したのは、当日の文部省の
官僚の伊沢修二でしたが、

当時、植民地を持つ国が学校を作る
というのは考えられないことでした。

実際に伊沢は、オランダの高官から、

「現地人に教育や知識を与えたら、
のちのち必ず反逆者となる。
学校の設立など国を脅かすだけだ」

と忠告を受けたと言われています。

しかし、それでも台湾人に学校教育を
受けさせることで、日本人として扱おうと
断固として推進をやめず、
「芝山巌学堂」を開いたのでした。

その「芝山巌学堂」で初めて教えた教師は、
日本から派遣された以下6人の日本人でした。

楫取道明(山口県、38歳)
関口長太郎(愛知県、37歳)
中島長吉(群馬県、25歳)
桂金太郎(東京都、27歳)
井原順之助(山口県、23歳)
平井数馬(熊本県、17歳)

彼等は、「台湾教育の聖地 芝山巌」で、
教育者の鏡「六士先生」として祀られる
ことになるのですが、

当時の台湾の状況は悲惨なものでした。

当時の台湾では、
日本の統治に反対する勢力が
激しい抵抗を続けており、
全島が戦火に包まれた状態でした。

また「伝染熱病の地」とも呼ばれ、
下関条約前に台湾に行っていた
日本軍5万の約半数が
マラリア、赤痢、コレラなどの
病に冒されるほどでしたので、

台湾に行くには、
相当な覚悟が必要だったのです。

そんな状況の中、この「六士先生」は、
学校ができてわずか半年後の1896年正月に、
日本統治に反対する人々に襲撃され、
殺されてしまいます。

地元の人々は教師たちにこの前から
避難を勧めていたのですが、

「我らは教育のために尽くし、
教育と存亡を共にするのみである。
死して余栄あり、実に死に甲斐あり」

と教育に命を懸けていることを示し、

いつ襲撃されて、命の危険にさらされるか
分からない中で、芝山巌の地を去ろうとは
しなかったのです。

この教育に 懸ける精神が「芝山巌精神」として、
当時の台湾教育者に多くの影響を与えることになり、

芝山巌は、「台湾教育の聖地」と呼ばれ、
多くの教育関係者が訪れる場所となりました。

このことに始まる日本統治時代の教育政策の結果、
統治直後に0.5%ほどでしかなった台湾の就学率は
終戦時には71.3%、識字率は92.5%にものぼり、

李登輝氏をはじめとする偉大なリーダーが誕生し、
台湾発展の礎となりました。

この六士先生のエピソードは、
台湾の学校教育の場では必ずと言っていいほど
教えられ、語り継がれています。

そして、先ほどの映像で話して頂いた唐さんは、
84歳で杖がないと歩けないにも関わらず、

「嘘ばかりの歴史で腹が立つ。
今の青年が知らない歴史であるから
本当のことを伝えたい」

という憤りから、102段もの階段を登り続け、
ご自身で「もう死にそう」と仰るにも関わらず、

「実のことを教えているのは自分だけ」
という使命感にかられて、

今も六氏先生について語り継いでいます。

この映像からでもひしひしと伝わるように、
一人でも多くの方に台湾の地を訪れてもらって、
この歴史を伝えて欲しいというのが、

唐さんにとっても、そして多くの日本統治時代を
生きた台湾人の人々にとっても、
共通する願いなのではないでしょうか。

ぜひ台湾の地を訪れ、共にその願いに応えましょう。
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台湾でこうして日本統治時代の歴史を
語り継いでくれる方々がいるおかげで、

台湾の人々は今でも親日でいてくれ、

面積は日本の約10分の1、人口は約5分の1、
GDPは約9分の1の小国であるにも関わらず、

東日本大震災の時に2億5千万ドルを上回る
世界最高額の義援金を送ってくれ、

高校生の修学旅行先の9割が日本を選んでくれ、

日本への旅行者数は、2013年221万人、
2014年283万人、2015年368万人と
年々増加しているのです。

私たち日本人は、
そんな台湾に恩返しをしなければなりません。

にも関わらず、実際には、大きな不義理を働いて
いることも多いです。

李登輝元総統から、
「台湾は日本に片思いをしている」という言葉を
直接聞いた時、

芝山巌で唐さんから、
戦後、日本へ戻った日本人に対して、

「家庭ならお父さんが事業に失敗して、
我が子を捨てたのと一緒」

という言葉を直接聞いた時、
胸が痛くて締め付けられそうになりました。

私達日本人は、自分たちが背負っている使命を、
あまりに軽く考えているのではないか。

それを真の意味で受け止めた時、
あなたの人生も、日本の未来も、必ず、
変わると信じています。

ぜひ共に、そのための変革を遂げましょう。
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ともによりよい未来を創って
いけることを、心より楽しみにしています。

リアルインサイト 鳥内 浩一