71年前の本日、長崎に原爆が投下され、
当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち
約3分の1に当たる
約7万4千人が亡くなりました。
亡くなられた方々に対し、
心から哀悼の意を表します。
日本人にとって忘れられないこの日に、
ぜひあなたへご紹介したい写真を添付
しましたので、ご覧くださいませ。
写真の名は「焼き場に立つ少年」。
あなたは、この写真を撮った人物、
この写真の真実をご存知でしょうか?
そのことについて、
2008年に放映された
NHKスペシャル
「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」
で詳しく内容を知ることができましたので、
本日はこのことについてお届けします。
この写真を撮影したのは、
カメラマンのジョー・オダネル氏。
アメリカ軍の公式カメラマンでした。
当時、アメリカ軍では
・軍則で決められたカメラでしか
写真を撮ることを許されていない
・日本人を撮ってはいけない
という軍の命令があったにも関わらず、
密かに持ち込んだ自分のカメラで
30枚にも渡って写真(日本人の撮影を含む)を撮影し、
アメリカに持ち帰り、封印していました。
*30枚のなか の1枚が「焼き場に立つ少年」です
なぜ、写真を封印していたのか?
それは、アメリカに帰国した
オダネル氏が、
長崎での記憶に
精神を苛まれたからでした。
そのことについて、
オダネル氏はこのように述べています。
『被爆者たちの体をうごめくうじ、
助けを求める声、鼻をつく異臭。
私は長崎でも他光景を思い出すまいとした。
しかしその光景は頭から離れず、
私を苛み続けた。
あの時のアメリカの決断は
正しかったと言えるのだろうか。
眠ろうとしても眠れないのだ。
悪夢が終わらないのだ。
写真を見たくなかった。
見ると長崎の悪夢がよみがえってしまう。』
その後、写真は43年間開けられることは
ありませんでした。。。
しかし、1989年に
偶然立ち寄った修道院で
オダネル氏の運命が変わります。
その運命が変わった瞬間について、
オダネル氏はこのように述べています。
「私は彫像を見て衝撃を受けた。
罪のない被爆者たちの写真が
彫像の全身にはられていたのだ。
それを見たときの気持ちは言い表せない。
長崎の記憶がよみがえりとても苦しくなった。
しかし、私は何かしなければと痛烈に感じた。
まさに啓示だった。
自分も撮影した真実を伝えなければならないと。」
そして、30枚の写真の封印は
43年ぶりに解かれました。。。
その後、オダネル氏は
・アメリカの各地で写真展を試みるが、
原爆の写真を受け入れる施設はない。
・本にしたくても出版社から断られる。
・原爆投下は誤りだと、母国アメリカを非難する声は
結局同胞には届かず、その行動を理解できない妻は離婚。
・8月6日と9日になると「お前は裏切り者だ」、
「アメリカが嫌なら日本へ行け」などと
嫌がらせの手紙や投稿がどんどん集まってくる。
など、波瀾の人生を深めながらも、
戦争非難活動を続けました。
そして、オダネル氏が晩年に残していた言葉。
それは、、、
「たとえ小さな石であっても、
池に投げ入れたら、波紋は広がっていく。
それは少しずつ広がり、いつか陸に届くはずだ。
アメリカという陸にも、届く日が来る。
誰かが続いてくれれば、波紋はさらに広がっていく。
そしていつか、誰もが平和を実感できる日が
来ると、信じている」
いかがでしたでしょうか?
このようなことがあり、
あの写真1枚にこのような
アメリカ軍の公式カメラマンだった
ジョー・オダネル氏の思いが
こもっているのです。
そして、最後に
お伝えしたかったことがあります。
それは、オダネル氏が
1950年に自分の思いをトルーマン大統領
ぶつけた一幕です。
オダネル氏
「大統領、私は長崎と広島で
写真を撮っていました。
あなたは日本に原爆を落としたことを
後悔したことはありませんか?」
トルーマン大統領は
動揺し顔を真っ赤にしてこう言いました。
「当然それはある。
しかし原爆投下は私のアイデアではない。
私は前の大統領から単に引き継いだだけだ。」
このようなことを
知ってあなたはどうでしょうか?
こういったことを子どもの頃から
知らされていたらどうでしょうか?
25年以上にわたって
20億円近くの費用を投じ、
ネパール、タイ、カンボジア、
ミャンマー、モンゴル、
スリランカ、ラオスなど
アジア各国で支援活動を続け、
貧困地域で暮らす人々とともに汗を流し、
その壮絶な過去を分かち合い、
多くの人々の命を救ってきた池間先生だからこそ
知り得た日本の真実、
日本人が知らない日本の歴史が
語られます。
「学校・テレビ・新聞が教えない 感動の日本史」
これからマスコミの終戦特集が
始まりますが、
正しい判断をできるようにするためにも
ぜひこれを視聴してください。
「学校・テレビ・新聞が教えない 感動の日本史」
一人でも多くの方に
「本当の日本人」として目覚めて頂き、
終戦の日である翌日を迎えるため、
ぜひ周りの方にも拡散をお願いいたします。