a close up of a typewriter with the word truth on it
外交評論家・故 加瀬英明氏のメルマガより/2021年3月3日(水)

日米戦争の真実に目覚めよ
Date : 2021/3/3(Wed)

 私は1950年代末に、アメリカに留学した。

 ニューヨークのコロンビア大学に通ったが、ヒュー・ボートンという教授がいた。

 教授は戦前、国務省の若い省員だった。私はボートン教授から、日本国憲法の成立の経緯をきいた。

 コーデル・ハル国務長官が日米開戦の6ヵ月前に、日本と戦って屈服させた後に、日本をどのように処理するか研究するチームを、極秘裏に省内に作った。

 このあいだ、昭和天皇、東條英機首相をはじめ日米開戦を回避しようとして、日米交渉を通じて最後まで必死の努力をした。

 ところが、ハル長官が開戦前月の11月に、日本軍の中国全土からの完全な撤退をはじめ、この春にワシントンにおいて始まっていた日米交渉で、一度も机上にのらなかった要求を日本に突きつけた。

 日本は蒋介石政権が大軍によって、国際的に認められていた上海の日本租界を攻撃するなど、さまざまな不法を働いたために、今日であれば国際的に容認される平和維持活動(PKO)を、中国大陸で進めていた。

 11月26日に、唐突に手交されたアメリカの要求は、「ハル・ノート」として知られる。日本に対する最後通牒だった。

 若い省員だったボートン教授は国務省のチームに極秘を誓わされたうえで、その一員となった。ルーズベルト政権は日本が真珠湾を攻撃する半年以上も前だったが、日本と戦って屈服させることを決定していた。

 ルーズベルト大統領は日米開戦の6ヶ月前に、蒋介石政権のマークを機体に塗り、アメリカ軍飛行士が操縦するアメリカの150機の爆撃機と350機の戦闘機によって、中国大陸から発進して、東京、横浜、京都、神戸、大阪に奇襲爆撃を加えることを、陸海軍合同委員会に立案するように命じ、7月に作戦命令に署名している。

 ルーズベルト大統領が日本奇襲爆撃命令に署名した文書が、1980年代にアメリカのABCテレビによってスクープされたが、なぜか、NHK、朝日新聞をはじめとする日本の大手マスコミは、報道しなかった。これらの爆撃機を急遽、イギリスに供与した ために、この騙し討ち作戦は実現しなかった。

 対日戦争が始まると、国務省の研究チームに陸海軍からメンバーが加わり(まだ空軍がなかった)、日本が降伏する前年に第一次対日講和条約案がまとめられた。

 その内容は、第一次世界大戦でドイツが敗れた後に強いられたベルサイユ条約よりも、はるかに過酷なものだった。

 日本は軍備を一切持ってはならない、軍需産業も禁じる、民間の航空機さえ、1機も持ってはいけない、原子力の平和利用を含めて、核の研究を永久に禁じるという内容だった。

 日本占領が始まると、アメリカは占領軍総司令官のマッカーサー元帥に、それを下敷きにした政策を取るよう指示した。現行の日本国憲法は、ハル国務長官の研究チームが作った第一次講和条約案に近いものとなった。

 当時、アメリカは日本を徹底的に弱体化し、再起不能な国家とするために、現行憲法を強要した。現行の日本国憲法は憲法と装った、日本を無力化する不平等条約なのだ。

 先の日米戦争の責任は、いっさいアメリカにある。

 日本国民は目を覚ましてほしい。