ここ数年、ポリティカル・コレクトネスとかジェンダーに関する報道に何か違和感を感じています。

この違和感について一つの答えになるのではないかと思われる文章がありましたので紹介します。

宮崎正弘の国際情勢解題」というメールマガジンの読者の声で取り上げられていた「近代の虚妄」(東洋経済・佐伯啓思著)の一説を掲載いたします。

(引用開始)
世物への関心、スローガンの愛好、歩調を一にした行列行進などの中にある幼児化をわれわれは見ることができるだろう。それを彼(ホイジンガ─)は「小児病」と呼んだ。

この小児病はまた、ユーモア感覚の欠如、何事に対してもなされる誇張的反応、物事にすぐに同意してしまう傾向、他人の思想に対する不寛容、他者を褒めたり非難する時の途方もない誇大表現などである。
今日ほど、それらが、公共的生活の中に膨れ上がり、大衆化し、残虐化したりしたことはなかった。そしてこれもまた、今日われわれが生きている21世紀の現代文明の相貌そのものではなかろうか。

では何がこの小児病をもたらしたのか。
彼(ホイジンガー)は次の三つをあげている。

第一に「中途半端な教養を身につけた大衆が精神的交わりの世界に加わったこと」、
第二に「道徳的な価値基準が緩んでしまったこと」、
第三に「技術と組織が社会に与えた伝導率があまりに大きいものであったこと」による、という。

要するに、本当の意味での教養ではなく、中途半端に様々な知識を持ち、それなりの教育を受け、生半可な教養を持った「半教養人」が社会の核を占めるようになってしまった。
これらの半教養人は、既成の道徳的な価値を疑い、伝統的な価値や道徳的規範がよってきたるゆえんなどに対してもはや一顧だにしなくなるだろう。オルテガのいう「大衆人」である。

そして、高度な技術の展開や、また、高度に組織された人々の集団や生活が、人々の間にあまりの高速度で情報を伝達し、人々を同質化し、いってみれば、熱密度の高い社会を作ってしまった。

こうして教育、良風美俗、それに伝統の薫陶を欠いた、いまだ大人になりきれない若者風の精神態度が、今日、あらゆる分野で主導権を握ろうとし、それに誘導されるかのように世論が作り出されるのだ。

これは遊びの小児病化ではあっても真の遊びではない。
真の遊びとは、一定の様式を持ち、精神のゆとりを持ち、神聖さへの奉仕の感覚をどこかに保持していなければならない。それはある種の成熟を要するものなのである。

そして「自ら成熟を放棄してしまうような精神のあらわれのなかには、ただ迫りつつある崩壊の兆ししか見ることはできない」と彼(ホイジンガ─)はいう。

この時に、文化は坂を転げるように衰弱の道をたどる。
なぜなら「文化は高貴な遊びというもののなかにその基礎をおく」からである。
(引用終了)
(SSA生)

近代の虚妄―現代文明論序説

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